出石焼の白い小皿に盛りつけた皿そば(割子)を何枚も食べる独特のスタイルを持つ出石に古くから伝わる伝統郷土そば。出石町は、中心部を南北に出石川が還流し、なだらかな農地が北へと広がる自然豊かな町であり、その恵まれた水によって出石そばは作られ郷土そばとして広まり、今では、出石は約50軒ものそば屋が並ぶ関西屈指のそば処として知られています。
江戸時代中期の宝永3年(1706年)に出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏(仙石政明)がお国替えとなりました。その際、仙石氏と供に信州から来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生しました。
現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で出す時に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始まったと言われています。その後、出石焼きが始まり白地の小皿に盛る様式が確立されました。