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深大寺そば 《東京都》

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東京名物 深大寺そば とは

深大寺そば(じんだいじそば)は、東京都調布市にある深大寺周辺に伝わる門前そば。江戸時代には「献上そば」とも称され、ごく一部の上層階級のみに食されていたらしいが、現代では20軒以上のおそば屋さんが軒を連ね、そば処として脚光を浴びている。
各店、嗜好を変えた独自のそばを提供しており、これぞ深大寺そば。というような特徴はない。手打ちもあれば機械打ちも存在し、しょうゆベースであったり、味噌ベースであったり、とろろがあったり、鴨であったりと、多種多様なそばが味わえるのは、お参りの際の愉しみともなっている。

深大寺
深大寺門前そば

深大寺そばの歴史

古来、そば種は八世紀頃原産地である北方大陸から朝鮮半島を経由して我が国に伝わり、我が国のそば作りは、武蔵野台地を開拓した高麗帰化人によって栽培され広がりました。
「武蔵国の内いずれの地にも蕎麦を植えざることなけれどもその品、当所の産に及ぶものなしゆえに、世に深大寺蕎麦と称して、そのあじわい極めて絶品と称せり」

江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』において、すでに、「極めて絶品」と紹介されている深大寺そば。
その、歴史については諸説あり、江戸時代に、近隣農家から深大寺に納められたそば粉を使い、深大寺寺坊で打ったそば切りが、来山者に評判となったことが始まりといわれ、その後、三代将軍徳川家光が鷹狩の途中立ち寄った際、そのそばの味を激賞し推奨されてからという説や、上野寛永寺大明院法親王に献上したところ、賞賛を得て以来といわれる説などがある。
深大寺そばと歴史もともと深大寺周辺の土地は黒ぼく土という土壌でそば栽培に適し、更に周辺からの湧水をそばのさらし水として用いるなど、そば作りに最も適していたようです。

ただ、当時の深大寺そばは、「献上そば」とも称され、ごく一部の上層階級のみに食されていたらしく、一般庶民が口にすることはなかったといわれますが、江戸時代後期の文化文政年間(1804年~30年)、江戸文化人の一人太田蜀山人が、幕府の役人として多摩川を巡視した折、深大寺そばを食し、広く世に宣伝してからは、武蔵野を散策する文化人に愛され、それが深大寺そばの名を高めたことになったといわれています。
そして、昭和36年神代植物園が開園すると、深大寺そばにもさらなる注目が集まり、今では、20軒以上のおそば屋さんが軒を連ね、いわゆるそば処として脚光を浴び、「そば」だけではなく、そばまんじゅうなどそば粉を使った各店のオリジナルメニューも充実。大変な賑わいを見せております。

引用:ちょうふどっとこむ

深大寺そばマップ

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