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越前おろしそば 《福井県》

中部地方

福井名物 越前おろしそば とは

その名の通り、そばの上に具材として辛み大根のおろし汁と追い鰹を添え、しょうゆ鰹だしをぶっかけて豪快にすする郷土そばである。そばの特徴として、殻まで一緒に挽いてあるため、少し黒味がかっているため、喉越しというよりも、噛み締めて味わうスタイルの田舎そば風と言ったほうが正しいだろう。
そばと大根おろしの相性というのは比較的誰しもが知り得る栄養効果もあるが、なによりも、この薄く削られた追い鰹が踊る様が有名で、越前おろしそばの特徴的スタイルとなっている。
この越前そばにおろしをのせたスタイルになるまでの越前そばの歴史は比較的古く、江戸時代にまで遡る。

追い鰹

越前そばの歴史

松平定信

越前における蕎麦の始まりは越前朝倉氏7代当主の朝倉孝景が、異常気象や災害に伴う飢饉や戦時のための非常食として蕎麦の栽培を奨励したことと言われている。当時は麺ではなく、蕎麦がきなどにして食されていた。

江戸時代、福井藩初代藩主の結城秀康から三代目藩主の松平忠昌まで仕え名家臣と諸国に名の知れた福井藩家老の本多富正が、荒地でも栽培し易い蕎麦の栽培を領民に奨励した記録が残る。更に諸事に明るかった富正はこの蕎麦に、大根の摩りおろしを掛けた蕎麦をお抱えの医者や蕎麦打ちに作らせた。これが越前おろしそばの始まりの説のひとつとされている。

この他に信濃守護職小笠原氏の支流松尾小笠原氏の小笠原貞信が元禄4年(1691年)に越前国勝山藩に移封された折、信濃より優れた蕎麦の種を持ち込み、それが越前全土に広まった、とする信州由来説もある。ただし、小笠原貞信は美濃の高木氏からの養子であり、松尾小笠原氏が信濃を領していたのは1590年以前である。また、この信州由来説の中には、松平忠昌は福井藩主になる前は信濃川中島藩主だったこともあり、越前の蕎麦の松平忠昌に関連付ける説もある。

「越前そば」の呼称が一般に使われ出したのは、戦後と言われている。昭和天皇が1947年(昭和22年)に来福された際、「うるしや」のもりそばを「越前の蕎麦」としてお気に召され、その後も折に触れて「越前の蕎麦」の話をしたことに由来し、以降、「越前そば」と呼び習わされるようになった、という逸話もある。「うるしや」のそばは、中力粉を繋ぎにし抹茶を練りこんだもので、昭和天皇が現在の様な「おろしそば」を召し上がったという話は、後の創作。

引用:wikipedia

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